昭和52年01月13日 13日会
信心を段々頂いて何が分かるかというと、神様のお心が分かってくる。その神様の心に添い奉って行くことが信心。おかげを頂くと言う事は、私し共が生き生きとした信心をさせて頂くということと同時に、神様が生き生きとしてお見えにならなければならない。例えば、最近合楽で、大祓心行が、の徹底を期して、もうちょうど1年以上になります。合楽の神様だけではなくて、宅の神様が生き生きとして見えてきた。
ほんとに打てば響くように、神様がおかげを下さる、打てば響くように神様がいろいろ、生き生きとした働きを、おいさみなどで示してくださる。これはもう一家を挙げてそうした一心の信心がでけておるところの神様は、とりわけ生き生きとして見えておる。そこで神様の今度はその働きを、その素晴らしい一分一厘間違いがないな、神様とはほんとに恐れ入るなと言う、そういう信心を、まあ合楽の場合、今日まで合楽に参りましてからでも、丁度今年は10年祭ですから。
10年という長い間、神様の間違いなさ、絶対性と言った様なものを皆さんが身に付けて来る事が段々でけてきた。最近は大変新しいご信者、いわゆる合楽教会の信奉者と同時に、道を求めて見えれる求導者が、富に増えてまいりました。だからそういう方たちも、まあ神様の働きのある意味で、すさまじい働きを、目の当たりに見たり聞いたりして、いよいよ感動の信心が段々続けられてきた。
私し昨日、たまたま阿倍野の教会の、から出ておるご本を昨日から、あの見えております佐賀の林と言う先生が、こちらへ聴講に来ております。その先生から、あのうずっとああいうごひれいの立つ教会を廻って、おられるわけです。であの頂いてきた、ま余分に頂いてきたからと言うて、一冊置いていかれました。もうほんとにちょうど1年前の、去年の正月の、ことが出ておりますが、年頭参拝が、御本部、十両、編成の、三列車御本部参拝しておられる。
本部のお広前は入りませんから、2編2回に渡って、あの御祈念があっておられる。その写真が出ておりました。まぁほんとに1人の信心でこれほどしの、しかも女の先生。去年82歳と言うくらいだから、今年は83歳になっておられるわけですが、まあほんとに、これだけの人がようも助かるもんだと思う。その先生が今皆さんに聞いて頂いたようなことを話しておられます。
信心さして頂いて何が分かるかと言うと、神様の心が分かるんだと。しかも神様の心が、分からしてもらう、一家が分かる親戚中が分かる。そしてどういうおかげに進んでいかなければならないかと言うと、神様の願いであるところの、まず信心させて頂く者が皆健康にならなければならないと言っておられる。次には経済の上にね、ゆとりのあるおかげにならなければならないと言っておられる。
合楽の場合、私しは昨日、そこで昨日の朝の、御理解にたまたま「どのような場合であってもにこやかであらなければならない。もちろん、顔だけじゃない心がそうでなからなければならない」と言う御理解を頂いたところへ、昨日その林先生が見えてから「先生そんなあなた何日も、あの阿倍野に行かれて、その何を得てこられたか」と、と言うて申しましたら、なかなかその、これが阿倍野の信心だと言うものはなかなか掴むことも教えることも実際は出来ないのだと。
けれども私しがあちらで修行させて頂いておる間に分からせて頂いた事は、阿倍野の先生が、もういつもどんな時であっても、にこやかでおありになると言う事だと言う事。私しは昨日皆さんに聞いて頂いたのと、それが一致した時にね、はあぁこれは阿倍野の信心を頂けてこないけん。こういうヒントを神様は与えて下さったなと思うんです。そしてその教本を読ませて頂きますと、今言う様に神様の心が分かる様になれ。心が分かるとか心に添い奉るとかと言うても、言うなら神様が生々きとして見えなければならない。
また勿論自分の心も生き生き、皆さんが大祓心行によって体験されておることは、なるほど宅の神様が生き生きとして見えた。大祓心行というものが、あちらでは大祓いが3巻だそうですね。お願いの為の大祓い、お詫びの為の大祓い、お願いの為の大祓いというふうに、3巻あげられるそうです。それはお祭りのような時でもやっぱりそうだそうです。お詫びの為の、お礼の為の、願いの為のと言うような、あのまあそこの教会のご流儀でしょうけれども。
もうとにかく私しどもも、泉尾の話を聞きゃあ泉尾教会の信心のどこにあの御比礼の元があるだろうか。阿倍野の話を聞きゃあほんとに阿倍野のあの御比礼はどこにあるかと。いつもあたくしが思わせて頂く阿倍野の先生が、もうとにかく一切を有り難い有り難いと受けて行く、と言うのが、18歳のお年の時から丁度54年間続けて、今日までおかげを頂いておられると言う事の、その形がどう言う事に現れて来たかと言うと、いわゆる、いつもにこやかでおれれると言う事だと言う事なんですね。
その言うなら、それはどう言う事かと言うと、神様の絶対と言う事が分かられてみえた。合楽でも今言う様に、神様の間違いなさ、一分一厘間違いがないな、と言う事は皆さんがもう大体分かってきた。そして心の神様も生き生きと段々して見えた、宅の神様も生き生きとして見えた。打てば響く様な神様を段々感じれれる様になった。そこで神様の願いであるところの健康であると言う事、経済なら経済のでもね、ゆとりのあるこういう風に言っておられます、借金がある人は借金が払えてしまわなければいけません。
借金が払えてしもうたなら、今度は3カ月間はバタバタせんで済むようなゆとりのあるおかげを頂かせて下さい、と言うて願えと言うておられます。3カ月のゆとりがでける様になったら、神様どうぞ3年間はゆとりのある様なおかげを頂かせて下さい、と言うて願うておかげを頂いて来ておると言う所に、もう私しびっくりすると当時に、ははぁこれは合楽も、もうここに入らなければいけないな、と言う事を感じました。
合楽で皆さんがもう神様の一分一厘間違いがないということ。今日も、高橋さんがお届けをされて、もうどうにもでけない、わずかまあ10日か20日すると何千万と言う金が入って来る様になっておる。所がそれまでに、それまでにもう今日はもう、大体昨日までだったけれども、昨日お電話でお届けさして頂いた。「お願いしときましょ」と言われたから、もうあらゆる手を尽くしたけれどもダメだった、ね。
今日の十三日会のお礼お届けも、事務所の方の立て替えをお願いしてさしてもらおうかと思ったけれども、まだそのでけないほうが、でけないまだ当てが皆外れてしまいましたから、それもでけないでおりますと言う、今朝からお届けである。そして今朝も「もうどうにも先生しようがないとですが」っち。「それけん腕こまねいとるだけでいいでしょうか」っち。「いくもんかい腕こまねいとるだけでいくもんかい」と私は。今日の昼まで神様に一生懸命御祈念せじゃごて、お縋りせじゃごて私しはね。
皆さん腕こまねいとるだけではいけないですね。そこで、まあ一生懸命そこで御祈念がありよりました。丁度私しがお食事が済む9時頃まで、に下がらせて頂いたが、( ? )が「先生おかげ頂きました」っち。ここにおっただけでおかげ頂いた。ある所にふっと思いついてから電話をかけた。そしたら向こうの方ではもう二つ返事でそのことを引き受けてくれました、と言うのです。
もうどうにもでけない八方塞がり、どうにもでけないその10日間の繋ぎが困ると言うとった。そのおかげで繋ぎが、言うならここで御祈念をしておる間にでけたじゃない。どうにもでけん所じゃないです、腕こまねいとるだけじゃ絶対いかんじゃったもんね。一生懸命御祈念をしじゃごて、そして御祈念中にふっと気づいた所があった、そこに電話を懸けたおかげで向こうは二つ返事で「はい。承知しました。そのならその時間までに用意しときましょう」と言うてくれた、とお届けがございました。
そういう意味でいつの場合でも、言うなら合楽の方達の場合なんかは、もうそれこそ、さあ手形、もう時間の問題。「先生どうぞ」と言うて走り込んでのお願いが皆おかげを頂いてきたわけです。そこで言うなら神様の一分一厘の間違いなさだけがそのようにして分かってきたんだから、私は昨日からそのことを頂いて、昨日今朝からの、からしきりに、ははぁこれは阿倍野の信心にあやからせて頂かなければいけないな。
ほんとに今までこんなことは願うたことがなかった。3日間のゆとりがでけたら次のね、3カ月間、3カ月間のゆとりがでけるごつなったら、3年間はゆとりのある、言うならば合楽で言われているその日暮し。1000円のその日暮しから1万円のその日暮し、一万円のその日暮しから言うならば、5万円のその日暮らしがでけるようなおかげを頂け、と、まあ今までは言うて来た。
それは神様がこの様に、間違いがないということを、分からせて頂く為です。合楽の人達の信心が、段々いわゆる悠長になってまいりますと、言うならゆとりがでけて参りますとです。神様の働きを働きと頂き得ずして、言わば神様へ向かう心が鈍ってくる。そうするとおかげの方が鈍ってくる、思うことが思う様にならないようになってくる。それでは、やはりいけない。
もうだいたい神様の間違いなさが分かってきたんだから、つかればその合楽に参りました10年間の間に、神様の一分一厘間違いのない働き、今の高橋さんのお話じゃないけれども、もういつもの事ながら恐れ入る、恐れ入るようにおかげを頂いてきたんですから。これからはね、少しゆとりのある、今言う、ただ今の願い、それが親の願いである親神様の願いだと言われるのですからね。ちょうど去年の1年前にお話をしておられることが出ております、ね。
「さあ暮れになった。本当に子供達がどげな事やろか。借金払いがでけてしもうたじゃろかさあ、正月の準備はでけたであろうか。用意はでけたであろうか」と思うのが親の心である。それに早々と年末はおかげを頂いて、これで正月もゆっくりと迎えられると言う様な、お話を聞かせて頂いたら、親もやれやれ安心である様に、神様に安心して頂くと言う事は、もうその日その日のです、言うならギリギリのおかげで、親をハラハラさせる様な信心から、親にも安心して貰える様な願いを、愈々立てなければならない。
そして、先生が言っておられます、信心が分かれば分かるほど一家の人達の信心が、あそこで例えば朝の御祈念などが、とにかく1000名ぐらいあるそうですからね。それがどういうわけかと言うとね、おかげが受けられない時には、主人が参っておるなら家内に頼む、家内、夫婦が参っておるなら。子供に頼む。もうとにかく、社員の全部に社長が頼むそうです、「こんなわけでお願いしとくから、この事が成就する事の為に、どうでも皆も参ってくれ」と言うて、皆それでもう言わば一家をあげての朝参りと。
この朝参りが生き生きと続く限り、そういうおかげが受けられると、断言して言うておられますですね。そして、その日暮らし的なおかげからです、いやどうでもおかげ頂いて100円のその日暮らしから、1000円のその日暮らしが出けるようになったと言うだけではなくて、言うならば1000円の、言うなら蓄えがある。バタバタお願いせんでも済むような、一つおかげの頂けれる道を神様が新たに一つの信心の段階が、これは合楽もそこにヒントをくださったような気がするんですね。
これはだから経済だけの事ではないです。一事が万事にそうしたゆとりのある信心をさせて頂いて、おかげを頂きたいと思います。私しが大きな事ばかり言うごとあるけれども、神様から頂くから言うだけの事。そして私しが言い出したら、必ずその実証が現れてくることね。成程、阿倍野では3両車の汽車で御本部参拝が出来られるほどしの御比礼ね。合楽もどうでも一つ、毎月とはでけんでも、年に2回の春秋の大祭ぐらいは、せめて1万5千ぐらいはお参りがでけるように願いを立てております。
1万5千人の、お参りがでけるようになりますとね、御本部に4日間のご大祭が続けられるその内の1日を、5日間してもらわなければなりません。合楽だけで1日間は埋めるのが、埋めるおかげを頂く為に、一万五千はお参りしなければならないわけです。まあ言うならば、夢のようなお話なんですけれども、今年100人参れたら楽になる。その次には200人の願いを立てていくならばです、私しはまんざら夢ではないと言うように思うのですね。
合楽理念を言うならば、基にして、いよいよ言うならば合楽の場合は絶対のものをそこに、その言うなら地盤とよう申しましょう、二十数年間合楽に参りまして10年間の信心を一つのその土台として、そしておかげを蒙っていきたい。そしてそのおかげもゆとりのあるおかげに、潤うようなおかげを頂きたい。為には1人の信心が2人になり、2人の信心が4人になっていくと言う様な、祈りを立て願いを立てていくと言う様な信心こそ、今日の十三日会の、芯ではないですけれども、神様の願いが成就する日。
今日を境に皆さん、そう言う願いを立てて、いよいよ信心を進めていきたいと思います。合楽で初めて願われる信心。それは言うならばね、その日その日のおかげを頂いて、神様の間違いなさと言う事はもういいかげんお互い分かったんだから、一つゆとりのある信心をさしてもらえ、ゆとりのあるおかげを受けていく願いに立って、信心を進めていきたいと思います。
どうぞ。